おまたの時間

日常に少しのユーモアと変態さを

根拠のない自信を持とう。

こんにちは!おまたの時間です😆

 

今日は未だ何者にもなってない若干20の僕が

最近思っていることをつらつらと書いていきます。

 

僕は、特技がなんだと言われても何もありません。

バスケを11年間やっていますが、

高校ではベンチにも入ることができませんでした。

 

理由は簡単で、努力が足りなかった、ただそれだけ。

 

他に何かのスペシャリストな訳ではありません。

 

そしてそんな僕に、あと一年足らずで就職活動が待っています。

 

大抵僕のような突出したスキルがない人間はある程度の会社に入ることができたとしても、営業や雑務からスタートだなと、前までは勝手に諦めていました

 

だから社会人に対してのイメージがいつも悪かったのだと今では思います。

 

しかし、僕はあることがきっかけで広い世界を早くに見ることができた。

 

こんなにも仕事があって、こんなにもいろんな価値観を持った人間がいると

 

その経験や出会いが僕を変えました。

 

そこから、色々なことに興味を持ち、実際に飛び込んできました。

 

まだまだですが笑

 

それでも、依然としてスキルはありません。

 

僕はそんないろんな体験をしながらふとこう考え始めました。

 

スキルがなくてもいろいろ経験できるものだな、ましてやただの20歳、スキルがなくても仕方がないよなって。

 

開き直ってきたのです。

 

別にまだ、何かに突出していなくてもいいし、やりたくもないことでスキルを磨いても時間がもったいない。どうせなら楽しめるものでスキルは磨きたい。

 

とにかくやりたいことをやっていこうと思いました。

 

確かに、スキルや実績に裏打ちされた自信は嘘偽りのない自分の努力の証ですから、正真正銘その人の力になると思います。

 

だけど、そうじゃない人たちはどうすればいいのか。

 

自分には何も誇れるものがない。打ち込んできたものもない。

過去に実績も栄光もない。

自分には何ができるんだろうか…

 

すごく悩んだことを覚えています。

 

しかし大丈夫です。

 

今日お伝えしたいのは、根拠のない自信を持つこと。

 

簡単にいうと、

 

なんとなく、僕にはできそうだな。

それなら私でもできるかもしれない。

 

僕は何かにチャレンジするとき、知り合いにはこう言っています。

 

自分なら絶対できる。

 

もちろん根拠なんてないので、みんなは何を言ってんだろうって思っているかもしれない。

 

だけど、根拠がなければやりたいことをやりたいって言えないのなら

それは本当はそこまでやりたくないのかもしれない。

 

これは自分をできるやつだ!と過信するのとはまた違います。

 

そんな拗らせためんどくさいプライドではなく、

自分の持っている可能性に肯定的になるだけです。

 

逆に過去の実績や栄光に裏打ちされた自信のある人は、何かに失敗したり批判をされるとあまり良い気持ちにはならないと思います。

 

根拠はない。

だから、もし失敗したって全然落ち込まない。

できないと思っていたことにチャレンジできた。これは価値あること。

チャレンジできたから、失敗成功は二の次。

 

何かにチャレンジしたいけど一歩が重い。

自分に何ができるのかわからない。

 

そんな状態こそ、その一歩を軽くしてくれます。

 

どんな有名アスリートも最初は初心者なんです。

 

まずはやってみましょう。

 

そのチャレンジに今日の記事が少しでも背中を押せたらいいなと思います。

 

僕らはなんでもできる。

 

W杯から見るナショナリズム。

こんにちは!おまたの時間です😆

 

とうとう都内でも青梅で40度が観測されました。命に関わる気温です。皆さん注意してくださいね。

 

さて、皆さんは日本の活躍でも

大盛り上がりを見せたロシアW杯

見ましたか??

 

僕も本当に興奮しました!笑

 

日本の8強入りが夢ではなくなった今回のW杯。

 

そこで優勝を飾ったのは

 

フランス代表です。

 

その圧倒的な強さで今大会脅威の粘り強さを見せたクロアチアを決勝で破り、優勝したのがフランスです。

 

そんな強さを証明したフランス代表ですが、なんと

 

代表選手23人中19人が、移民または移民の子供だそうです。

 

スタメンの写真を見ても大半が黒人選手であることがわかります。

 

サッカー界の超新星、19歳FWムバッペ選手も、父はカメルーン系だといいます。

 

そして、今回のW杯は

波乱の多い大会でもありました。

 

なんと前回大会覇者のドイツが

グループリーグで韓国に完敗し

そのまま敗退となりました。

 

そのドイツ代表の10番である

メスト・エジル選手

ドイツ代表GL敗退の戦犯として

国民からもバッシングを受けているそうです。

 

エジル選手自身は

トルコ系移民3世です。

 

そして、今日のニュースで

エジル選手はドイツ代表を引退することを表明しました。

 

なぜなのか。

 

エジル選手はこんなことを言っていました。

 

ドイツサッカー連盟のラインハルト・グリンデル会長に対し、

 

「彼らの目には、私たち(ドイツ)が勝てば私はドイツ人に、負ければ私は移民に移る。」

 

その上で

 

「私はまだ社会に受け入れられていない。私は異物として扱われている。」

 

とコメントしたそうです。

 

エジル選手はドイツの学校に寄付をしたり、前回W杯でのドイツ優勝に大きく貢献した1人であるにも関わらず、こうした移民に対する人種差別的な姿勢もまだ残っているのです。

 

だからエジル選手はドイツを去ってしまったのです。

 

本当に酷い話だと思いました。

 

今回のロシア大会では上記のような問題も浮き彫りになっています。

 

少し話は変わりますが、私は現在大学で

国際政治を専攻として

世界情勢を学んでいます。

 

その中で、ナショナリズムについて

議論することがしばしばあるのですが

結論から言いますと

 

長期的な将来として

W杯は国別対抗戦としての制度を残しているのか、ということを今回考えてみました。

 

どういうことかと言いますと

 

日本のプロ野球のようなものが世界的な大会でも当たり前になるのではないか、ということです。

 

クラブW杯もそういった意味では近いかもしれません。

 

例えば地域別W杯みたいな。笑

 

そして

先ほどのフランス代表の多民族チームの話やエジル選手の話でもわかるように

 

今世界の先進国で問題となっている

移民の受け入れ問題

というのがありますよね。

 

もちろん僕たち日本も

少子高齢化グローバル化などに伴って

移民を受け入れざるを得ない状況になっていますが

 

そういった意味でのグローバル化が進む中で

私たちは果たして何を持って日本人なのでしょうか。

 

日本で生まれたから?

両親が日本人だから?

日本語が話せるから?

 

どうでしょうか。

 

もちろん国籍は日本でしょうし

日本は島国なのであまり実感がないかもしれません。

 

しかしこれを世界で考えてみてください。

 

例えばアフリカ系の民族がヨーロッパへ移住し、その国で子供を産む。そこで生まれた子供は何を持って自分の国を決めるのでしょうか。

 

国境のある国では混血はもはや当たり前のような気がしますが、同時に国家への帰属意識に対する問題も膨らんでいる気がします。

 

今では帰化という方法で国籍を変えることも可能となっています。

 

もちろん帰化にも条件はありますが

 

自分の生まれた国ではなくても、国民になりたいと思えばなることは可能なのです。

 

最近ではバスケットボール日本代表にも、帰化した外国人選手がちらほら出てきましたよね。

 

こうした現在の人種的な側面からも

今後のオリンピックやあらゆるスポーツ大会がもはや

 

国民国家VS国民国家であるのかどうか。

 

これからラグビーW杯や2020年の東京オリンピックも控えています。

 

これらもこういった観点から注目して見るのも面白いかもしれません。

 

僕は専門家でも何でもないので

まだまだ勉強不足だとは思いますが

気になったので書いてみました。

 

今回は少し長くなりましたが

最後まで読んでいただき

ありがとうございます。🙇

 

人は自らでしか変われない。

こんばんわ!おまたの時間です🔥

 

今日も死ぬほど暑いので

皆さん水分補給をしっかりとしましょう。

 

早速ですが

皆さん、こんな経験はないですか?

 

「著名人の講演会ですごく刺激を受けた」

「尊敬する大人からアドバイスをもらった」

「あの本を読んで考え方が変わった」

 

などなど。

 

人、本、映画、音楽...

 

人は何かに影響されて、

それがきっかけとなって成功したり、

何かしら人生が変わるような体験をする。

 

アスリートやアーティストなど、

世界で活躍されている方々にも何かしら成功のきっかけがあったのかと思います。

 

その要因は百人百様あると思います。

 

しかし、きっかけというのはあくまでも良い影響を受けているだけにすぎないのです。

 

そのきっかけや良い影響を、

自分なりにどう受け取って、

どううまく使っていくか。

 

逆にいい影響を与えてもらったのに、

話を聞いて満足してしまって、

それから何も変化がないのであればそれも自分が決めたことなんです。

 

僕も本当にまだまだなのですが、

自分を理解する、ということについて今日のテーマはすごく重要だと思います。

 

自分が感動したり、納得したり、共感したり、怒ったりするのは、何が原因なんだろうか。

 

相手の言葉?

感情?

声?

ストーリー?

夢?

生き様?

 

受け取る人それぞれです。

 

あなたはどう受けとり、そして

その後、自らの行動をどう決定しているのか。

 

今一度、自分自身と向き合ってみましょう。

 

まとめると、

 

あなたが、良くも悪くもより強く影響を受ける何かを見つけましょう。

 

そうすれば今自身がなにをすべきかなのか分かりますし

 

自分が影響を受けてきたものにはこんな共通点があったのか、と

 

発見にも繋がるはずです。

 

そして

 

自分をよく知らない人は、変わろうとすることも難しいと思います。

 

人は自らでしか変われない。

 

だからこそ

 

もっと自分を理解することが大切

 

だと、思います。

 

では今日はこの辺で。

 

最後まで読んでいただき、

ありがとうございます🙇

 

当たり前に感謝すること。

こんにちは!おまたの時間です🙏😂

 

皆さんは、外を出歩くとき、必ず服を着ますよね?

 

当たり前でしょ! 

 

皆さんは、生きるために食事をしますよね?

 

当たり前でしょ!

 

皆さんには帰る家があって、ベッドや布団で1日を終えますよね?

 

当たり前でしょ!

 

当たり前すぎてツッコむのもナンセンスな質問ですが。笑

 

僕を含め、皆さんの周りにはあらゆる

 

「当たり前」

 

が存在しています。

 

もちろん、個人によってなにが当たり前になっているかは違ってきますし、

 

先ほどの質問は一般的なものですので、そうでない方もいるかと思います。

 

もしかしたら、あなたの今の

「当たり前」

誰かにとっては、当たり前じゃないかもしれない。あなたのその当たり前は、他の誰かが憧れるようなものかもしれません。

 

そしてその自分の当たり前というのは、

小学校、中学校、高校、大学、社会へどんどん世界が広がるにつれて、たくさんの人に出会い、経験を通して、それは普遍的なものではなくなります。

 

僕は小さい頃から高校生まで、家庭環境でひどく悩んでいたときに、ある1人の女の子に出会ってハッとさせられました。

 

どう考えても、僕の置かれた状況より、彼女の方が持っているものは少なかったのです。

 

そこで僕は、悩んでいた自分にすごく恥を覚えました。むしろ、その彼女からしたら僕の状況は有難いことかもしれないと思ったのです。

 

そう考えると、当時悩んでいたことはバカバカしかったと思います。

 

僕はこの体験をした高校3年生から現在まで、なるべく当たり前にある生活に感謝をするようになりました。

 

好きな服が着れること。

美味しい物を食べれること。

帰る家があること。

親、兄弟が生きていていつでも会えること。

くだらないことで悩めること。

好きな勉強ができること。

チャレンジができること。

五体満足であること。

 

などなど。

 

挙げたらキリがありません。

 

そして、このように今あるものに感謝するようになると、視界がどんどんと広がります。

 

今まで気づかなかった多くのことに気づくことができます。

 

自分がすごく恵まれていることに。

 

有難いことに、今、そしてこれからの時代はどんどんチャレンジしやすい社会になっていくと思います。

 

やりたいこと、チャレンジしてみたいこと。

 

特に若い僕たちはどんどんやりましょう。

 

その中で、また「当たり前」を見つけては、それに感謝をしましょう。

 

最後に

こうして考えてることを文字に起こし、皆さんに読んでもらえることに感謝します。

 

最後まで読んでいただき、

ありがとうございます🙇

 

 

 

 

 

 

「ありのままのあなた」になれる時間、ありますか??

こんにちは!おまたの時間です👶🏻

 

早速ですが皆さんに質問です。

皆さんは日々の中、あるいは1日の中で、

 

「他の何者でもない自分」

 

になれる時間はありますか?

 

朝起きて出勤する前、夜眠る前、休みの日などなど。

 

ひたすら「自分だけ」になれる時間はありますか?

 

社会人の方であれば

仕事、休みの日には友達や家族との時間。

 

学生の方であれば

学校、バイト、遊び、その他いろいろ。

 

そして、それらいずれかのコミュニティに身を置いている時間は、

1日のうちの何%を占めているでしょうか。

 

例えば僕の場合、

○○大学の学生、

ユニクロのアルバイト、

地元のミニバスケットボールクラブのコーチ、家族の長男...などなど

 

それぞれのコミュニティの中の自分がいます。

 

他にも色々ありますが、

○○の自分

という時間が1日のほとんどの時間じゃないでしょうか。

 

1日ずっとなにかのコミュニティの中の自分でいることは心身ともに疲労しますし、

ストレスも溜まりやすいです。

 

人が抱える悩みのほとんどは

「人間関係」

であるとも言われています。

 

ではそんな日々の中で、コミュニティの中の自分とうまくバランスを取るには、

 

やはり

 

意識的に「何者でもない自分になる時間」

を作るべきだと僕は思います。

 

なんでもいいのです。

自分だけになれる空間、時間を、

 

意識して、生活の中に組み込んで行く

 

ことが大切なのです。

 

僕も毎日眠る前に、

 

ただボーッとする時間

 

を設けています。笑

 

ここで忘れてはいけないのは

自分に合ったものを見つけるということです。

 

今一度1日の時間を見直し、

数分でもいいから、

他の何者でもない自分になる時間を作ってみてはいかがでしょうか??

 

人生で使える時間は限られています。

自分を大切に、

そして

少しでも幸せになれる方法を

一緒に考えてくれたらうれしいです。

 

最後まで読んでいただき、

ありがとうございます🙇‍♂️

湯を沸かすほどの熱い愛。

みなさんこんにちは。おまたの時間です😆

 

皆さんは、2016年10月に公開された日本映画

 

「湯を沸かすほどの熱い愛」

 

という映画をご存知ですか??

 

宮沢りえさん、オダギリジョーさん、杉咲花さん主演のヒューマンストーリーです。

 

ずっと前から観たいとおもっていた作品で、先日やっと観ることができました。

 

僕は元々泣き虫なのですが、普段出す涙の量の何倍かはこの作品を通して溢れました。

 

あまり書くとネタバレになってしまうのですが、ぜひ皆さんに観ていただきたい映画です。

 

そして

今日はこの作品中、かなりビビっときたあるセリフについて書こうと思います。笑

 

まずは観たことのない人にもどんな話かわかるようにあらすじを下に書きます。

 

《あらすじ》

1年前、あるじの一浩(オダギリジョー)が家を出て行って以来銭湯・幸の湯は閉まったままだったが、双葉(宮沢りえ)と安澄(杉咲花)母娘は二人で頑張ってきた。だがある日、いつも元気な双葉がパート先で急に倒れ、精密検査の結果末期ガンを告知される。気丈な彼女は残された時間を使い、生きているうちにやるべきことを着実にやり遂げようとする。

 

このたった数行のあらすじでは到底まとめきれない物語ではあるのですが...。笑

 

そして今回注目したセリフというのが

作中の母、双葉という人間に対して双葉と親交のあった探偵の方が放ったセリフです。

 

そのセリフが

 

「不思議な人です。(双葉のこと)

あの人の為だったら

なんでもしてあげたいっていうか...

多分それって、その何倍もしてもらってるって思えてるからなんじゃないかなって。

多分みんな、心からそう思ってるから。」

 

このセリフがどういった意味を含んでいるかは映画を観たらわかります。笑

 

僕がこれを通して伝えたいこと

 

本当に愛される人間というのは

この主人公双葉のような、

「この人の力になりたい」

「この人のために何かしてあげたい」

そう思ってくれる人間が周りにたくさんいる人なのではないでしょうか。

 

そして、こう思ってくれる人が周りにたくさんいるというのは偶然ではなく、

 

双葉自身が目の前にいる

困り、悩み、そして苦しんでいる人に本気でぶつかっていった。

その明るさで、周りを照らしていった。

 

否定せず、人と対等に向き合ってきた結果、

 

このようなセリフが生まれたのではないかと思います。

 

僕自身、双葉のような人間を目指していますし、周りにもっと双葉のような人が増えたら、少しでも世の中良くなるのではないでしょうか。

 

人を動かすのはいつだって情熱。

 

映画から学ぶことは本当に多いし、役者さんの迫力ある演技には見事というほかありません。

 

またこれいいな、という映画があれば書いていきます!

 

皆さんおすすめの映画ありましたらコメントでもなんでもいいので教えてください!

 

では今日はここまで。

 

最後まで読んでいただき、

ありがとうございます🙇‍♂️

 

 

 

 

 

 

人生初マラソンの結果は…?

こんにちは!マタです!🏃🏻‍♂️🏃🏻‍♂️

 

昨日、僕は先週から渡っていたオーストラリアから帰国しました。

 

ただいま!日本!(笑)

 

さあそして何をしにはるばる遠くに行っていたのかというと、

ゴールドコーストで行われた

 

【Gold Coast Marathon 2018】

 

に参加するためです。

 

種目はハーフマラソンから障がい者のためのマラソンまで、さまざまな種目が用意されていましたが、僕は1番距離の長いフルマラソンを走りました。

 

結論から言います...

 

見事完走することができました!!(笑)

 

いやそれはもう今までに経験したことのない辛さでした。

 

走り終えた直後から筋肉は疲労で固まり、3日は正常に歩くこともできませんでした。

 

余談ですが、

僕は現在まで10年間バスケットボールを続けていて、なかでも高校三年間はイヤというほどほど走らされていました。(笑)

 

もちろん体が痛くなったり、筋肉痛などはいつものことでしたが、

 

フルマラソンはそんなものではありません。笑

 

運動部全盛期の遺産だけで走っていたようなものですから、当然アスファルトの上を42.195㌔も走る体は作れていませんでした。

 

そんな中、なぜ僕が完走できたのか。

 

理由は2つあります。

 

1つ目は

「熱い応援」です。

 

ゴールドコーストラソンは世界的にも有名なマラソンです。

 

地元民、ツアー会社のスタッフ、ミュージシャンなどさまざまな人がコースサイドを埋めていました。

 

中には小さな子供がハイタッチをしてくれたり、歌や楽器の演奏でランナーを鼓舞してくれる方などもいました。

 

たびたび耳に入ってくる

「You can do it!!」

にどれだけ力をもらったかわかりません。

 

そんな色々な応援が僕の前に進む力になりました。

 

もう一つ、僕が完走できた理由として挙げたいのは

 

「必ず完走するという意思」です。

 

ここが1番強い理由でした。

 

僕は若干20歳ですが、これまでの人生、何かをやり遂げるという経験がまだまだ足りないと思っていました。

 

今回友達からこのマラソンの誘いを受けたときに思ったのです。

 

たかがフルマラソンかもしれないけど、完走できたらまた1つ成長できるんじゃないか、と。

 

だからこそ今回、なんとしても完走したかった。

 

どんなにきつくて苦しくても、歩いてでもいいから、完走したかったのです。

 

これから人生まだまだきついこと、辛いこと、リタイアしてしまいたいこといっぱいあると思います。

 

でも、そのたびにこの異国での経験を思い出して踏ん張りたい。なんてことないはずです。

 

そして自らを通した経験、挑戦が他の誰かの背中を押してあげられるようになればいいなと。

そう思っています。

 

僕は自身の好奇心に行動の舵を任せて、また何かに挑戦すると思います。

 

その時はまたみなさんにご報告したいです。

 

最後に、今回の挑戦

本当に楽しかった‼︎

ありがとう‼︎

 

長くなりましたが、

最後まで読んでいただき、

ありがとうございます。🙇‍♂️