おまたの時間

学生が将来のライフスタイルについて考えた

挑戦することの大切さ。

皆さんこんにちは!マタです!

 

今日のテーマは「挑戦すること」についてです。

 

早速ですが、皆さんは最近何かに挑戦しましたか?

大きいものでも小さいものでもかまいません。それが成功したか、失敗したかも問いません。

 

大事なのは「挑戦したか」どうかです。

その一歩を踏み出す勇気があるかどうかで今すぐにでも人生は変わっていくと思います。

 

この勇気というものには「才能」も「環境」もなにもいりません。

誰もが今から勇気は持つことができます。

 

現在皆さんは何かにチャレンジしたいと思っていますか?

そのチャレンジは自分にはレベルが高いとか、難しいとか感じていますか?

 

大丈夫です。皆さんはこれまでにたくさんのチャレンジを経験してきています。

 

例えば、「自転車」。

 

自転車は皆さんもよく利用されている移動手段ですよね。今でこそ自在に乗りこなし、転ぶ方が至難の業であると思いますが、誰にでも物事には「初めて」がつきものです。自転車を乗りこなせるようになるには、相当な数転んだと思います。自転車に才能がある方はすぐに乗ることができたかもしれませんが、僕なんかは死ぬほどこけて死ぬほど泣いていたと親から聞かされました。(笑)

 

だけど自転車に乗りたいという気持ちから、自然と自転車に挑戦するという勇気がわいてきたんだと思います。そうやって失敗を恐れないで転び続けたからこそ、乗れるようになるという成功を収めることができたのだと思います。

 

しかしその成功は、自転車に何度も挑戦をしたことが前提なのです。

 

自転車に限らず、子どものころはいろいろなことに挑戦していたはずです。川へ飛び込んでみたり、興味のある習い事を親にねだって始めて見たり...。皆、始めた後のことなんて考えもしていなかったでしょう。やりたいからやる。そんな純粋な好奇心が、皆さんの「できること」を徐々に増やしていったんだと思います。

 

しかし子供は成長するにつれて、社会のこと、人間関係、周りの大人からの抑圧や日本特有の偏った協調性により教育され、悟っていくのです。子どものころのようにやりたいことだけやることはいけないんだと、やりたくないことも一生懸命やることが努力というんだと。

 

だから暮らしの中で興味を持ったり、やってみたいなと思うようなことがあっても、いろいろなことを理由づけて、やらない自分を正当化していくのです。でもこれは、僕たちが悪いわけではなく、日本の戦後教育の背景だったり、日本人特有の考え方に大人になるにつれ、徐々に染まってしまっているだけなのです。

 

僕もその被害者でした。好奇心が旺盛な(自称)僕はいろんな習い事などに挑戦したかったですが、僕の家庭は裕福な方ではなかったので、それを自分で悟り、親にも相談できなかったことは何回もあります。

 

皆さんにも少なからずこうした内外部が原因で何かにチャレンジできなかったことがあると思います。

 

しかし、それはものすごくもったいないことなのです。僕の周りの大人たちはポロっと「あの時にあれやりたかったなー」とか、「いまからじゃもう遅いんだよな」とか嘆いています。そんな大人を見て、社会人に対してプラスなイメージを持つ若者はいると思いますか?いないと思います。そういった方々自身も非常にもったいないです。

 

やりたかったことに遅すぎるということはないと思います。とことんやってみればいい。そう思います。そして僕もいつか若者(自分も若者のペーぺーですが)に挑戦する勇気を与えられるような人物になりたいですね笑。

 

では今日はここまで。

ご拝読ありがとうございます🙇